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グランパの山歩き

日向山(ひなたやま)雨乞岳(あまごいだけ)の旅

 

1.2014年7月21日~22日

2.同行者:I

3.交通手段:I車(三菱アウトランダー)

4.宿泊:ペンション・カサデモンテ白州(1泊2食¥9180)

5.総費用:¥16000

                      日向山(1660m)

1.新・分県登山ガイド[改訂版]14山梨県の山

2.地図:①山と高原地図43甲斐駒・北岳

   ②国土地理院2万5000図:長坂上条

3.ルート:矢立口登山口(1100m)10:2011:05錦滝(1250m)11:1512:25頂上(1660m)

12:5514:00登山口

7月21日(海の日)晴

 6時半、夏休みに入り、公園では子どもと高齢者が集まってNHK第2ラジオ体操を流しながら体操を初めていた。

 7時、地下鉄南北線四ツ谷駅、四ツ谷口を出た所でI車に乗り込む。順調に走行。中央高速の双葉SAに寄ってトイレタイムをとる。ここにはペット広場があり、「ウォーターリンクエリア」とかペット用バイオトイレがある。

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 9時7分、須玉ICを降りて釜無川を渡り、国道20号に入っていく。ローソンで食料を調達する。壁に燕の子3羽がはみ出しそうにして親を待っていた。

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 道の駅「はくしゅう」の手前を左折、県道614を走行。分岐点を真っ直ぐに行き、「日向山」の標識を確認しながら、矢立石登山口に向かう。バスを使って来たのか大きなリュックを背負い、甲斐駒ヶ岳に行く若者がいる。

山の中に入ると、別荘が見え、山梨ナンバーの軽自動車について行く。道脇に溝があるので慎重に行く。ジグザグに登っていく内に軽が右脇に駐車する。先に行こうとしたら、前から来たタクシーが、「この先はバック出来ないし、駐車できない」と言う。軽の女性にスペースをつくってもらって、帰りに出やすくして停める。

10時10分、歩きながら車の数を数えてみる。

015.JPG登山口

登山口の先の林道のゲートまで約50台あった。山梨の他、名古屋、埼玉、八王子、千葉など様々な所から来ている。15分後、通行止めのゲートを超える。

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 岩が林道に落ちている。道は尾白川渓谷に沿っていた。

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初夏に咲くホタルブクロや山イチゴを幾つか見つける。未だ赤くなっていないマムシグサの実も見つける。

018.JPGホタルブクロ019.JPGムシグサ

 造成した道の真ん中を雨水が浸食していた。

11時5分、錦滝の手前に立つ東屋で休む。

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女学生と先生だろうか、山ガールのグループがやって来て滝に行ってはしゃいでいる。

023.JPG錦滝

10分後、急登に取りかかる。鎖や鉄梯子を使って登る。

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梯子階段の間隔が短く、子ども用に出来ていた。その内、上から声が聞こえ、家族3組やカップルが降りて来る。

12時15分、視界が開け、砂道が現れる。「日向山下山道」と書いた道標が立っていた。

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 眼下の日向沢と頭上に見える雁ヶ原一帯は花崗岩による砂や奇岩だった。

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白砂を踏みしめて行く。男の子兄弟が岩場から双眼鏡を使って眺めていた。今日は家族連れが多い。10分後、山名を書いた標識に立つ。

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 近くの木陰で食事をとる。山ガールも近くに来た。食後、花崗岩の風景を眺める。

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 甲斐駒や八ヶ岳は見えなかったが、眼下に青い屋根のサントリー白州工場が見える。

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12時55分、下山。植林されたカラマツ林の中を降りて行く。

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   緑蔭や赤リュック背の人に従く

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ハイキングコースを10合目から登山口まで各合目の目印を白看板で案内していた。赤 い茸を見つける。

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自然林になるとブナや桧、杉が増え、白樺も現れる。

14時、登山口に戻り、更に4、5分歩いて車に戻る。車で宿泊先を確認してから、明日の登山口を確認する。カーナビに映る西乞尾白川林道を走っていく内、一度、方向を間違えて未舗装の道に出てしまい、工事から帰る車がやって来て教えてもらってサントリー工場の奥の道を走る。これも曲がりくねっていて川を幾つか渡ってヴィレッジ白州への道に出る。後は道なりに走行、平久保池が現われて車が結構停まっていた。コテージの先の広場に出る。一帯はヴィレッジ白州用だったので、行き止まりの道の先に停める。

15時20分、登山口を確認、帰りは下教来石まで出て国道20号線から今朝通った道からペンションに向かう。雑木林の中、車を入れる所には案内がないので行きすぎてしまう。戻ると女将さんが現われて無事到着。

040.JPGペンション・カサデモンテ白州

15790歩、歩いていた。今晩は我々2人だけなので、1人1部屋使わせてもらう。早速、1人用の風呂に交代で入って汗を流し、部屋で焼酎を名水百選の水で割って飲んで慰労する。

18時半、ビールを飲みながら、自家製野菜を使った料理を堪能。30年前から500坪の敷地で営業、女将さんはトレッキング好きでネパールのジョムソンからムクチナートまで行っていた。先月、メルボルンに住む娘に女の子が産まれたのでジェットスター航空を利用して、一月、滞在していた。出身が小田原だったので、秋葉神社の火祭りのことでも話しが盛り上がる。今年の冬は稀に見る積雪で離島になってしまい、大変な思いをしていた。

20時、精算を済ませて部屋に戻り、人類や日本人の起源について議論。適当なところで切り上げて寝る。私の部屋はトイレ、バス付きだった。

 

雨乞岳(2037m)

1.新・分県登山ガイド[改訂版]14山梨県の山

2.地図:①山と高原地図43甲斐駒・北岳

    国土地理院2万5000図:小渕沢、信濃富士見、長坂上条、甲斐駒ケ岳

4.ルート:平久保池登山口(1150m)7:20遊歩道終点(1500m)7:25

9:40頂上10:1011:10水場11:2511:50遊歩道終点11:5012:20登山口

7月22日(火)快晴

 4時半、起床。食堂でオニギリ弁当を食べる。料理好きなのだろう。いろんな具材を入れていた。ポットにお湯を入れて5時に出発。国道20号沿いにあるコンビニで昼食を調達。6時過ぎ、登山口に駐車。小型手帳がベストのポケットにない。一通り探したが、出発予定時間になったので諦める。

041.JPG登山口

 6時半、出発。2人並んで歩ける遊歩道を登る。2006年に整備されたようで、木段も歩きやすい。樹林の中、蕗が出ているところを通る。

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 2種の鳥の鳴き声を聴きながら登っていく。そよ風が滲んだ汗にあたって気持ち良い。土手には網を張って崩れないようにしていた。

 7時20分、3番の道標で遊歩道と分岐、木段を登っていく。

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 道は尾根の北側を巻いていた。ベニハナ茸を見つける。斜めに伸びた大樹の脇を通る。

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 木に巻きつけた赤テープがルートから離れていて紛らわしい。右手、塩沢川のせせらぎの音を聴きながら登る。幹に「運が良ければ水場」の看板がかかっていた。

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 カラマツが増えてきた。大樹が発する強い「気」は見えないが、古代人のパワーを蘇らそうとした岡本太郎の「太陽の塔」を思い出す。その内、一帯が笹に覆われている中を登る。広い笹原に出たが、足元にルートが見えるので問題ない。

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    いずこより鳴く鴬か笹平

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ガレ場に出たが、甲斐駒は雲の中。アブが汗の臭いで近づき、トンボが笹にも停まっている。道に糞が残っていた。キツネ辺りが自分の領域をマークしたのだろうか。

056.JPG左上と右下055.JPG

高度1900m台まで登ってから標高差20m降りて登り返す。道標には「#6頂上直下尾根」と書いてある。

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カラマツの林の中を登る。

 9時40分、登頂。雨乞いの祠はなかった。Iのリュックにヒョウモン蝶が停まる。

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 日向山を見ながらオニギリを食べる。

061.JPG日向山

 30分後、下山。倒木にアカキクラゲ科の茸が生えていた。

064.JPGハナビラダクリオキン065.JPGツノマタタケ

 10時40分、ガレ場の上。今度は鋸山の峰々が良く見えた。反対側のルートがガレ続きだったが、北側は森林が続いていた。

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 5分後、大きなリュックを担いだ白髪の男に会う。地元からで、捻挫をしてもビバークできる用意をしている。このスタイルが出来なくなる迄やるという。しばらくして黒い帽子を見つける。往きにはなかったので、丁度あった杭の上に掛ける。笹の中に茸を見つける。

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 11時10分、水場に降りる。2日前の雨のせいで湧き水のように出てくる。

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   山中の湧き水飲んで梅雨明けぬ

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プラティプスの容器に水を入れ、タオルを水場に浸けて頭と顔を拭く。ここも薄緑色に囲まれていた。

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 ルートに戻って降りて行く。途中、別の茸を見つける。

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 11時55分、3番道標。木段は一気に降りて行く。25分で登山口に出てしまう。

075.JPG登山口

 シャツを着替えてから、もう1度、座っていた助手席からメモ帖を探す。運転席との間の奥に落ちていた。我ながら情けないが、ホッとする。

 12時40分、出発。次回に登る八ヶ岳の編笠山と権現岳が見えた。

077.JPG左から編笠山、権現岳

 国道20号に出て右折。道の駅白州に寄って、シャルマンワインと野菜を買う。地元の人も結構立寄っていて、店員も納入していた。

13時40分、出発。韮沢ICから中央高速に入る。勝沼を過ぎると、工事で1車線通行になり、渋滞。笹子トンネルは長いので、更に眠気を誘う。初狩PAでトイレに行ってから、精算を済ませ、Iは眠気覚ましにコーヒーを飲む。ソフトクリームを食べてから出発。八王子を過ぎると永福町まで11キロ渋滞が続く。

 17時10分、急にスムースになり、カーナビの指示通り外苑で降りる。20分後、四ツ谷麹町側に入って出発地に戻る。

 18時、帰宅。20454歩、歩いた。この辺が限界になって来た。

  

グランパの山歩き

山梨百名山:権現山・倉岳山の旅

1.2014年6月3日~4日

2.同行者:I

3.交通手段:I車(三菱アウトランダ-PHEV)

4.総費用:¥13000

 

権現山(1311.9m)

1.ガイドブック:新・分県登山ガイド⑭山梨県の山(山と渓谷社)

2.地図:①山と高原地図27高尾・陣馬

   ②国土地理院2万5000図:上野原

2014年6月3日(火)晴

 浅川バス停(700m)9:4510:25浅川峠(867m)10:3512:00権現山12:3013:25浅川峠13:3514:10浅川バス停

 日本300名山を良く同行したIからの誘いで3年振りに同行する。お互い古希を過ぎており、傘寿まで低山を登るという目標を立て、その最初の山行となった。

 待ち合わせ場所を地下鉄南北線2番出口、交差点を渡った所としていた。指定の南北線に乗り、6時48分に着く。7時になると上智大学のチャペルが鳴る。この時間、子供を四谷駅まで車で送る母親がいる。しばらく待ってから彼の携帯にかけると、四谷見附北交差点の方で待っていた。新宿通りに出て初台から首都高速に入る。反対車線は通勤の車で渋滞。我々は順調に走行、8時過ぎに大月を降りる。国道20号に入って町の中のコンビニに寄って食料を調達。カーナビを浅川中心部にセットして走行。猿橋から葛野川を遡る。浅川入口を右折すると、一車線の道が多くなる。運よく道幅の広いところで対向車と擦れ違い、バスの終点まで行く。途中、「日本大月社」と書いた宣伝車が停まっていた。終点の広場に停められないので、反対側のスペースにする。

028.JPGバス停留所

 Iが靴を履きかえている間に、近くにいるお婆さんのところに行って、地図に載っている神社のことを尋ねる。「それなら、あっちだべ」と指差してくれたが、余り関係がないようだった。畑ではジャガイモやモロコシを栽培していた。やがて爺さんも現れ、「どうだべ、住んでみたら」。限界集落だった。近くで鶯が鳴いている。

027.JPG登山口

 9時45分、高度605mから「浅川峠」の標識に従って出発。5分後、駐車スペースに八王子ナンバーの車が停まっていた。しばらく歩くと、「車両通行止」の看板とチェーンがはってある。

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 その先に崩壊箇所があった。未だ通れる。

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 林道終点にも標識があり、登山道になる。杉林の中を大きくジグザグに登って行く。生き物は蟻だけ、我々だけが進んでいく。10時25分、浅川峠。

035.JPG浅川峠

休憩後、大きな山体の権現山に向かう。足元には座禅草や、どんぐりから芽を伸ばしていた。

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 尾根を歩くと風を感じて気持ち良い。左手の桧林の木は全てテープで巻きつけている。

虫よけだろうか。

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やがて広葉樹林だけになる。前方に2人の女性が登っていた。八王子ナンバーの人で、あきる野市からだった。先に行く。足元には、ドングリから伸びた木に双葉を出していた。緑一杯の自然林に山ツツジが彩りを添え、黒アゲハが舞う。シャッターチャンスを追ったが、諦める。葉に赤く縁取りされたヤシオツツジの木を見つける。

11時35分、休憩していたら、今度は2人が先に行く。稜線に出る。

039.JPG稜線の標識

 右に登って頂上に立つ。八王子組と写真を撮り合う。

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 他に年輩女性組が来ていた。南北に視界が開け、周りは山ツツジが咲いている。

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 北には三頭山がぼんやりと見え、夏雲が出来ていた。富士山は雲のなかだった。

041.JPG三頭山

木陰で食べる。食後、八王子組と話す。1人は子どもを学校に送って、終わる頃までに戻る。それまで山歩きをしていた。これまでいろんな山に行っているようだ。二人静の花が咲いていたことを教えてくれる。もう1人の女性は、ヤマレコに投稿していた。

彼女達が降りてから、ゆっくり降りる。20分後、二人静を見つける。細長い花穂に米粒のような白い花を連ねている。花穂が1本、2本、3本とあった。

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 福島県飯舘村で見た一人静の花を思い出す。浅川峠の手前ではウツギの花が咲いていた。

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峠で休憩。ここから扇山を往復しても良かったが、Iには興味なかった。明日も山を登るので降りて行く。ガクアジサイが咲きだしていた。登山道から広場に出たところで、周りの山が見える。お2人を遠くから撮り、先に林道を歩いて戻る。

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14時10分、Iが靴を履きかえている間に、バスを待つ年輩者と話す。事業主で、東京から来て扇山を登っていた。他にもいろいろと登っている。既に登っていた権現山を教えてもらう。木の間にちょっとだけ見えていた。

058.JPG権現山

Iが同乗を誘ったが、バスが間もなく来るし、他に用事があるからと言われ、別れる。カーナビに宿泊先をセットして出発。途中、大型バスと擦れ違う。

国道20号を左折、梁川町に入って桂川を渡り、民宿「やまみち」に行く。

15時、明朝の登山口を確認しに行く。くねくねと走り、唐桑橋を渡って登山口に出る。2.5キロあった。

060.JPG倉岳山登山口

駐車する場所を唐桑橋の近くのスペースにする。帰りに網を持った中年男に会う。東京から蝶採集に来ていた。民宿の駐車場に戻り、軽自動車用のスペースの隣りに停める。明日、登る山が見えていた。

061.JPG倉岳山

066.JPG民宿「やまみち」

「やまみち」の女将に案内されて2階の7畳の部屋に入る。Iが用意した焼酎を飲みながら、私が持って来た摘みを食べる。テレビがつかなかった。節電のためと言うが、予約客であるのに、事前に準備していない。

17時、入浴。夕食は30分遅れると言う。他に1人、宿泊者がいた。

18時過ぎ、テレビを見に食堂に行く。山梨テレビはローカル色が出ていて面白い。ゴミ収集活動で活躍している野口健が仲介してエベレストと富士山が姉妹山になった。ビールを飲みながら食べる。同宿者は鮎釣りに来ていた。明朝は務めに東京に帰る。

 食後、Iが精算を済ませてくれる。テレビを見ながら雑談。3年振りなので話しが弾む。彼は夫人と豪華客船クルーズを楽しんでいた。阪急交通によるもので、イギリス・サウサンプトンからベルギー・オランダを行く旅で味をしめ、西地中海、東地中海、カリブ海と続く。

 21時、就寝。

 

倉岳山(990.1m)

1.ガイドブック:新・分県登山ガイド⑭山梨県の山(山と渓谷社)

2.地図:①山と高原地図27高尾・陣馬

   ②国土地理院2万5000図:上野原

6月4日(水)晴

 唐桑橋(380m)6:307:55水場(720m)8:008:15立野峠(800m)8:259:05倉岳山9:3010:00立野峠→11:20唐桑橋

 5時半、起床。洗面を済ませ、オニギリ弁当を食べる。小型ペットボトル入りお茶がついていた。窓から、近くの畑で農作業をしている人が見える。排便を済ませて出発。車のガラスには露が覆っていてワイパーで拭きとって出発。15分後、駐車。Iが登山靴に履きかえる間、周囲を歩く。ミミズやゲジゲジのような節足動物が動き、野イチゴが草むらに、唐桑橋の先には藤の花に似た花を咲かせていた。

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 6時半、登山口に向かい、整備された道を登っていく。ウグイスが鳴いていた。大木に蔦が上へ上へと蔦っていく。

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 杉や桧の恩賜林の中、月夜根沢を遡って行く。針葉樹は6月から8月にかけて最もフィトンチッドを発散する。歩きながら話す。話題はIが浦安地域の勉強会で聞いた元機長の飛行機の話になる。参加する人は年配者が多く、やっかみ半分の質問が出ていた。

日があたらないので羊歯が多い。足元に雨蛙がいた。セセラギの音が気持ち良い。途絶えた水も再び現れる。水場にやって来た。ここの水は煮沸しないと飲めなかった。2本の管が沢の水を集めるようにしている。

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近くに小屋があったような石組みが残っていた。広葉樹になった森の中をジグザグに登っていく。静謐な空間だった。

         緑陰や赤いリュックの後を行く

自然の森は100キロヘルツよりもはるかに高い周波数を出しているのに、人間の聴覚は20キロヘルツ以内の音しか聞けないことを思い出す。高周波が脳幹を刺激して脳内物質を活性化させてくれている。中でもドーパミンが快感をもたらしてくれる。森のある低山歩きはシニアに向いている。立野峠に出た。

083.JPG立野峠

 オニギリを1つ食べていたら、30代の男が登って来て一緒に座る。既に倉岳山は登っていて、今回は細野山の方の稜線を歩いて寺下峠から梁川駅に戻ると言う。

10分後、頂上に向かう。2回アップアンドダウン。ここにもフタリシズカが足元に、山ツツジがまばらに咲いていた。

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 最後は急登。視界が開けて標識に辿りつく。

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 ここでも富士山には出会えなかったが、反対側で麓の桂川が見えた。

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小鳥が囀るのを聞きながら、アンパンを食べ、コーヒーを飲む。キツツキの叩く音が聴こえた。

9時半、下山。ストックを使いながら慎重に下る。陽が差し出した。立野峠から水場に行くと初老夫婦に会う。東京からで、人に会うと思っていなかった。帰り道となると、周りを見ながら歩ける。小さな滝や橋を撮っていく。単独の男にも会う。

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11時20分、登山口から車に戻ると、無数の小さな蝶が日向ぼっこをしていた。

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駅までの道と反対なので、下着も着替えてしまう。唐桑橋の近くに、5月下旬から現れるミスジチョウが留まっていた。

108.JPGミスジチョウ

20分後、出発。国道20号に出て右折、前にオバちゃんが三輪スクーターを運転、時速40km以下なので後ろに何台も従えていく。

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上野原ICから中央高速に入る。

12時35分、石川SAで昼食、今回の精算を済ませる。トイレに寄ると、植物を壁にかけていた。

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13時過ぎ、出発。新宿ICで降りて新宿通りを走行。

13時45分、待ち合わせ場所で車を降りて別れる。東京は翌日から梅雨に入った。

 

グランパの山歩き

            子持山(1296.4m)

1.2004年4月29日

2.同行者:I、Y、K

3.JR:上中里―赤羽―北鴻巣―渋川 往復¥3760 特急券:高崎―渋川¥500

  タクシー(日本中央)料金、食事代:1人¥3000 白井温泉:1時間¥250

4.地図:国土地理院1:25000鯉沢、沼田、金井、上野中山

     昭文社:山と高原地図20赤城・皇海・筑波

5.ガイドブック:新・分県ガイド⑨群馬県の山

4月29日(木)

6時57分、赤羽駅から高崎行きの前2両目に乗る。Ⅰと、Iとパソコン教室で一緒だったKが待っていた。大宮を過ぎると車内から冠雪の富士山が見えて来る。途中、北鴻巣駅でⅠと大学同窓のYが乗り込み、並んで座る。

8時30分、高崎駅。1番線に移って草津行き特急に乗って渋川に行く。

9時2分、渋川駅からタクシーに乗り、子持山の登山口に向かう。紫色の柴桜が一面に咲いていた。鳥居を通り、山間に入っていく。ドライバーは慣れていないのか、空恵寺を過ぎ、降りて行く。メーターを止めて戻り、「一里が岩」から川沿いに遡っていく。子授け、安産の神を祀る子持神社を通る。7号橋を超えたところで停まる。帰りもお願いして別れる。登山口に、きちっとした登山ガイドが書いてあった。

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9時45分、出発。板張りの道を通り、高さ60mの一枚岩、屏風岩を過ぎると歌碑が立っていた。

  子持山紅葉をわけて入る月は錦につつむ鏡とぞ知る  円珠尼

 川もなくなり、高度をあげていく。休日のせいか家族や夫婦など一列になって登っていく。青い頭と背羽根をしたルリビタキがチ、チ、チと鳴いていた。稜線沿いに登る。

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10時25分、獅子岩の下で小憩。

DSC00502.JPG獅子岩

女性組は峠の方のスペースを使って弁当を開いていた。Yは若い時に日本アルプスに登っており、Kは20代、ペースは普通で良かった。中高年組を抜いて更に登っていく。柳木ヶ峯で別ルートと合流、さらに一登りする。

11時25分、子持山登頂。十二山神を祀っている。

DSC00505.JPG十二山神

DSC00504.JPG子持山頂上

地元のグループが清掃を終えていた。近くに「山を汚す登山者は熊もあきれて困った。空き缶・ゴミ・良心はもちかえろうね」と書いた看板が立っている。大きな岩に取り付いて景色を眺める。残雪の(ほ)(たか)山が良く見えた。形もいい。

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 上州の空っ風を受けるので防風林が続いている。

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4人で食べられる場所に行き、モロキュウを食べながらブランディを飲み、お湯を沸かして焼きソバを食べる。清掃グループの子どもがいて、鳩が枝に止まっていた。

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12時40分、出発。柳木ヶ峯から浅間山方面に降りていく。急斜面だった。大タルミで左折、唐沢川の沢を降りていく。獅子岩が獅子の形をして見えた。ヤマエンゴサクが咲いている。

DSC00511.JPGヤマエンゴサク

林道になると登山口は直ぐだった。予定より早く着いたので奥の院に寄っていく。階段を登って赤い神社でお参りして降りる。

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頼んでおいたドライバーは既に来ていた。麓に出て松並木の間の道を走り、国道17号線を横切って子持村温泉センター白井温泉に着く。ドライバーは待ってくれると言う。頭と身体を洗い、露天風呂に入る。半月が出ていた。ハーモニカを吹いているオッサンが「赤城の子守唄」を吹いてくれた。1人は尺八が趣味、トラック運転6万キロ、日本カーリットへダイナマイトの素を運んでいた。30分で出る。出口の脇のテーブルに忘れ物が積まれていた。洗面セット、歯ブラシ、タオル、衣類。

タクシーに乗り、白井宿を通っていく。鎌倉時代からある城下町の一郭が整備されていた。

DSC00514.JPG白井宿

渋川駅に着いてホームで電車を待つ。渋川女子高家庭クラブ作成の座布団が待合室に置いてある。

16時20分、吾妻線高崎行きに乗り、高崎から上野行きに乗り換える。Yは建築業経営者、卓球が趣味。高校迄選手だった。その後も続けており、最近も県大会で優勝している。去年は上海3泊4日のフリーツァーでレッスンを受けている。来月末、横浜での全国大会に出場する。敷地600坪には窯があり、友人が集まるという。北鴻巣で別れる。

熊谷の一つ手前で5両連結された。3人で山やパソコンの話をしている内、赤羽に着き、別れる。


グランパの山歩き

             御巣鷹慰霊

1.2001年10月6日(土)

2.目的:慰霊と御巣鷹尾根清掃

3.上信小型バス:東京駅新丸ビル集合

4.地図:昭文社・山と高原地図21西上州

 新丸ビルの周りにはバスが囲んでいた。運転手と見られる男性5人が打ち合わせをしている。小型バスを探す。角に「日本航空」の看板を持った男性がいたので挨拶する。バスの前に女性がいて名簿をチェックしていた。やがてS氏が現われた。かって救難訓練の教官をやり、運航本部に席をおいている。同じように現役最後の記念に応募してきた。大学同級生でもあるAがやってきたので、一緒にバス最後部に座る。

 8時、2人キャンセルしたようで、11人で出発。3連休の初日で関越高速道路は渋滞、首都高速から東村山まで一般道路を走行。国道17号から川越方面に行き、トイレを使うために東村山から高速に入る。嵐山PAでトイレ休憩。本庄児玉で国道462号線に入り十石峠に向かう。下久保ダムの脇を通過。カーブに番号がついていて75まで見つけた。途中、道の駅「万葉の里」でトイレタイム。中里村恐竜センターも近くにあった。国道299号、奥多野花街道を走る。

 12時過ぎ、「慰霊の園」方向に右折、学校の前を通り、バスぎりぎりの道を登っていく。林の中で椎茸栽培をしていた。慰霊の園は公園のように整備されていた。まず塔に行き、焼香をあげて冥福を祈る。

DSC00021.JPG慰霊の園

 後ろの石に520の名前が彫ってあった。家族の名前が一緒に彫られていたり、外国人は左端に彫られていた。黙読しながら「ゴメンナサイ」と黙唱する。玉砂利広場の奥に観音像が幾つか立ち、歌碑が立っていた。年々増えているようで、去年訪れた時と比べてみると広場を仕切る石が置かれていた。入り口の展示室に入る。事故当時の状況、千羽鶴や写経の他、2年前に訪れた山崎豊子の写真や「沈まぬ太陽」が展示されている。波多野パーサーの略歴を書いたものがあった。ボイスレコーダーに残された声が想い出される。

 バスに乗って、登利平の鳥飯を食べる。食後、戻って御巣鷹山に向う。19キロ、川を遡り、幾つかのトンネルを通っていく。事故後、道路脇に植林した木が紅葉していた。

 13時15分、麓に着く。偶々、山行会の人達が荷物を担いで出発するところだった。なかに同僚のF氏がいた。我々は軍手とゴミ袋を持って出かける。砂防ダム建設のための道路工事から一転、樹林帯に入り、カエデやカラマツ、ミズキがあった。足元を見ながら歩く。目立つゴミはないが、煙草の吸い殻を見つけた。

       秋冷の御巣鷹尾根や捨て煙草

「やすらぎ滝」や「みかえり峠」を通っていく。

DSC00039.JPGやすらぎの滝

25分経ったところでベンチがあり、一服したので長袖を脱ぐ。更に登っていくと案内板が立っていた。左手に小屋があり、山行会の人達が荷物を運びあげていた。彼は小屋に泊まる。

DSC00023.JPGDSC00036.JPG

同行者の方に歩いていくと卒塔婆が立ち、祭壇小屋があった。ここを訪ねた人のメッセージが壁に貼ってある。最初、利用された座席の番号かと思った数字の看板は区画整理のためだった。ここがスゲノ沢で、合掌する。

DSC00026.JPGスゲノ沢

5回目のAについて登っていく。途中、水場があり、空のペットボトルに水をいれて手にぶらさげて行く。斜面を登りきったところに昇魂の碑が立っていた。

DSC00035.JPG昇魂之碑

 14時30分、1人1人焼香、合掌して黙祷。1985年8月12日18時57分のことを想い冥福する。

DSC00031.JPGDSC00029.JPG

             昇魂碑静かに添へし菊の花

DSC00030.JPG鎮魂の鐘

 

 脇に遭難者の銘碑が立つ。これは警視庁応援派遣部隊と日航機体回収部隊の有志が去年8月に立てたものだった。尾根の樹林が抉れている風景は今も残っていた。

DSC00027.JPGU字溝

 ここにも小屋が建ち、訪問者の想いを残している。広場の方にはメッセージを架けられるようにしていた。Aに案内され、少し登ったところに黒焦げになった大木の一部が残っていたのを見る。

DSC00032.JPG

 山行会の人達が先ほど運んだ腐食液を持ってやってきた。小屋や卒塔婆を塗っていく。時間も押し迫ってきたので降りる。女性たちは降りるのに慣れていないようで、予定より遅れてきた。先に歩いてスタッフに伝える。

 15時30分、全員揃ったところで出発。すりばち荘で温泉に入る。

       山降りて秋空仰ぐ湯浴みかな

 風呂からあがり、別室に用意されたビールで慰労、弁当を食べる。

 17時30分、バスに乗り込む。

DSC00043.JPG

 鬼石でトイレタイム、更に高速に入って途中、高坂SAに寄っていった他は、関越自動車道の真中のレーンを走行。池袋の芸術劇場脇に着いたのは20時前。すべて用意が出来ていて、登山でもなく、清掃もごく僅か、ひたすら合掌する一日だった。

絶対安全などありえないことで、原発事故が起きたことは記憶に新しい。退職後、登山や旅、ボランティアを続けているが、仕事中に培った安全感覚は残っている。

今や古くなった記録だが、記録して置かなければ記憶に残らないと思い、当時の日記をまとめました。


グランパの山歩き

                  和泉葛城山(858m)と天狗岳(558m)

1.2002年11月8日

2.単独行

3.南海電鉄:臨空タウン―貝塚 水間鉄道:貝塚―水間¥650

  バス:水間―蕎原¥470 犬鳴山温泉―泉佐野¥470

4.地図:国土地理院1:25000内畑

5.ガイドブック:新・分県登山ガイド26大阪府の山

     

11月8日(金)晴

 7時53分発、難波行き急行に乗る。次の泉佐野で通学通勤客がどっと乗り込み座席は一杯となる。8分で二駅目の貝塚で降りて水間鉄道に乗り換える。8つの駅を過ぎる。

 8時25分、水間駅に着く。周りの店は未だ閉まっているし、駅前の蕎麦屋もやっていない。菓子パンを食べていた運転手と話す。今日の勤務は蕎原との往復を繰り返す。水間鉄道は貝塚を中心にタクシー、バスの他不動産もやっている。ここの駅舎は水間観音にあやかったレトロな建物で屋根から九輪の尖塔が突き出ていた。

DSC00006.JPG水間駅

 8時45分、サラリーマン2人乗せて出発。高速道を潜ってしばらくすると谷あいを走っていく。途中の駅で2人は降りていく。14分で蕎原に着いてしまう。林道を歩く。棚田が奥まで続いていた。近畿自然歩道を歩く。そぶら山荘の脇を通る。

DSC00007.JPGそぶら山荘

 橋を渡るとトイレがあった。「登山Aコース」と書いた道を登っていく。宿ノ谷林道の小さな滝を幾つか通って行くと、沢蟹がいた。

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   雨止みて沢蟹出でし山の道

 更に登っていくと2匹目がいた。今度は甲羅を掴み、道連れにして登っていく。3匹目が現われたところで対面させてみた。ところが2匹ともジットしている。こちらが手を近づけると手に向って鋏みをひろげる。 「保安林」と書いた立て看板にキリスト教団体の雑誌をビニール袋に入れてかけてあった。そこから幅の狭い滝が落ちていた。白糸滝だった。

DSC00009.JPG白糸の滝

 黄葉したブナ林に出ると明るくなった。作業道路と分かれて登って行くと再び合流する。コンクリ製の木型で出来た階段を登って行く。稜線に出て歩いて行くと初めて人に会う。男女4人の若者で、何も持たずに昇り降りしていた。ブナ林の中を歩き、鳥居を越えて石段を一気に登っていく。

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10時40分、葛城神社に出る。

DSC00012.JPG葛城神社

雨の神さまのいわれが書いてあった。享保年間、岸和田藩主岡部氏が白鹿を射殺すると、雷が鳴り豪雨になってしまう。そこで藩主は葛城一言主命の八大龍王を祀って山を鎮めた。以来、雨の神さまとして信仰の対象になっている。この山は役小角が修験道場として使われたところでもあった。先に展望台があったが、どんよりしていたので車道に降りる。茶屋に入りオデンを食べる。足元に柴犬がやって来た。ねだっている様子だったが、無視しているといなくなる。

11時10分、五本松までの3キロ、車道を歩く。向かい側から時たま車がやって来るが、静かな風景の中、西脇順三郎の詩「旅人かへらず」を読みながら歩く。ここは和歌山県との県境で五本松の駐車場に置いた車の車両番号も和歌山ナンバーだった。更に車道を歩いて行く。ガードレールに売却家屋のチラシが張ってあった。

「奥高野の農家で6DK、300坪の菜園付きで650万円」

定年後に向いている。粉河中央林道と分かれ、紀泉高原道路を歩いていく。矢印型の小さな白い看板が木にかかっていた。見逃すところだった。樹林の中に入って行く。足元に気をつけながら、赤いテープを頼りに蜘蛛の糸を払いながら歩く。

12時55分、大天上ケ岳に着く。樹林の中に道標がかかっていた。

DSC00013.JPG大天上ヶ岳

ここは葛城28ヶ所遍路の一つだった。稜線を歩いていくうち、ロープのある急坂を降り、登り返して天狗岳への分岐点に出る。10分歩いて天狗岳に着く。羽根を両翼に付けた天狗像が立っていた。

DSC00014.JPG天狗岳頂上

風の音が西から東に動き、頭上の木々を揺らしていた。天狗に挨拶して戻る。ハナミヅキの赤い実が鮮やかだった。

DSC00015.JPGハナミズキ

分岐点を左にとると直ぐに経塚権現山に出る。更に歩いて行くと倶利伽羅不動明王を奉納した鳥居に出る。ここからは展望できた。白い紐を潜って降りて行く。僅かに残る人跡を探しながら、木や枝に捕まりながら。段々と深みに入っていくよう。視界がきくので、いざとなれば戻ればいいという気持ちになる。

14時15分、地蔵ケ岳の福槌権現に出た。修験道コースは厳しい。砂礫で足元が覚束ないところにはロープがあった。「さいの河原」をトラバースする。金龍大神の石碑が真中に立っていた。蛇腹を過ぎると本道に出る。今までのルートは裏行場だった。一気に降りて広場に出る。大きな身代わり不動像が立ち、「水子地蔵尊」と書いた旗が並んでいた。

DSC00017.JPG身代わり不動像

参拝客がお札を買ったり、お参りしている。

バス停までの渓谷道には誰もいなかった。幾つかの滝を見、太鼓橋を渡っていく。

DSC00021.JPGDSC00019.JPG

犬鳴山温泉に出る。温泉センターがあり、玄関まで行って見る。客を送り出す女将が慇懃無礼というか、見下した態度だったので辞去する。

バス停まで出て、出発時刻を確認しておく。向かい側の駐車場管理オバサンに「山乃湯温泉」への道を聞く。車道を歩いて3分だった。駐車場の方から入るとビール箱を持ったオバサンがいた。600円払って入る。他に3人いた。湯はぬるっとして確かに温泉だった。じっくり暖まる。

DSC00022.JPG山乃湯温泉

DSC00023.JPG

16時38分発、泉佐野行きのバスに乗る。この辺一帯には溜池が多い。水呑地蔵で養護学校の生徒がどっと乗って来て、隣りに青年が座る。イキナリ「どこから来たノ」と聞く。

「温泉から」

「名前は」エッと思ったが「山、山ちゃん」と答える。隣りのおっさんがニヤニヤしていた。

17時13分、泉佐野で降りる。ビールを飲み、鰻丼を食べてホテルに帰る。夜から雨が降り出し、翌日は冷え込んでいた。


グランパの山歩き

                      鈴鹿・竜ヶ岳(1099.6m)

1.2001年10月26日(金)

2.単独行

3.交通機関:マツダレンタカー¥7350 高速料金¥2500 ガソリン¥922

4.地図:国土地理院1:25000竜ヶ岳

     昭文社・山と高原地図44御在所・霊仙・伊吹

5.ガイドブック:新・分県登山ガイド23三重県の山

 昨日、予約しておいたマツダレンタカーの名古屋事務所は8時にオープン。ゼネラル石油スタンドの向かい側にある筈だったが、既に店の外に駐車してあった。まず高速に入る。渋滞もなく東名阪自動車道を走行。大山田SAでトイレに行っておく。桑名ICで降りて、国道421号線を走る。途中、工事で一方通行もあったが、員弁(イナベ)町宇野を左折、宇賀渓谷に入っていく。キャンプ場に向って右折すると直ぐ、通行止めになっていた。手前で駐車する。

 9時50分、出発。丁度、中高年の釣り人が歩いてきた。一緒に歩く。三川から車でやってきてヤマメを釣りに行く。釣りは今年から始め、カヤックもやる。その内、前方の高齢夫婦に追いつく。爺さんがリュックをかついでいた。今度、御在所岳を友人と登るので一時間ほど歩くという。しばらく話してから先に行く。

 10時15分、ホタガ谷の登山口で別れる。

ryugatakeuramichi.JPG裏道登山道入口

 杉林の中、川沿いに登っていく。一度、路肩が崩れたところがあった。ストックを使って慎重に通る。足元にマムシグサ科のミミガタテンナショウが実をつけていた。有毒の色をしている。

DSC00063.JPGミミガタテンナショウ

 丸太で補強された道が山腹に続いていて、雨だったら危険な所を登っていく。峡谷の水は高く登っても出ていた。尾根の下100mほどで水がなくなる。

 11時30分、笹の斜面に出る。更に登って尾根に出る。南側が笹、北側が広葉樹とはっきり分かれていた。

DSC00064.JPG

藤原岳から御池岳まで見えた。笹波の間に出来た道を登っていく。

DSC00065.JPG竜ヶ岳

 12時10分、登頂。年配の男性が来ていた。四日市から宇賀渓に車を停め、8時40分に出発、ヨコ谷を登ってきた。写真を撮りあってから、一緒に食事をとる。長年、NTTの技術部門で働いていた。

DSC00066.JPG

    篠原の秋風そよぐ竜ガ岳

DSC00067.JPG藤原岳

DSC00068.JPG左から釈迦ヶ岳、御在所岳、雨乞岳

DSC00069.JPG八風街道

 12時55分、下山。登山道は抉れていて、滑りやすい。アセビの木の枝をつかまったり、ストックを使って降りていく。登山者も現われた。

 13時15分、重ね岩に出る。大きな岩の塊が重なりあっていた。

DSC00070.JPG重ね岩

 写真を撮って直ぐ歩き出す。相変わらず風化した花崗岩が陥没した道を降りていく。20分後、石槫峠に着く。反対側にはNTTの石樽無線中継所が立っていた。峠の道にはコンクリで両脇をふさぎ、2トントラック以上が通れないようになっていた。国道421号を降りていく。競輪用自転車で登っていく人に会う。トラックが通らないから自転車は走りやすい。途中から山道に入り、次第に自然のままの世界に入っていく。

 14時10分、長尾滝に出る。高さ20m、岸壁から落ちた水は、底が白砂の壺に落ち、冷気を漂わせていた。

DSC00072.JPG長尾滝

 幾つかロープを使って転石を伝って川を渡っていく。砂山への分岐点やヨコ谷ルートを過ぎ、五階滝へと降りていく。

DSC00073.JPG五階滝

 鉄梯子を降りてからは、普通の道になり、一気に白滝吊橋まで出る。

DSC00071.JPG

DSC00074.JPG

 橋下に釣り人がいた。ホタガ谷登山口に戻る。キャンプ場まで歩いていくと、川縁に猿がいた。更に前方の道を横切っていく。

DSC00075.JPG

こちらが近づくと、そそくさと崖を登っていってしまう。

 15時、車に戻り、一息入れてから運転する。頂上で四日市の人から聞いた通り、国道23号のトラック道路を走ろうとした。しかし段々疲れが出てきたし、暗くなってから名古屋市内に入るのは危険なので、桑名ICから高速に乗る。大山田PAで焼き蛤入りラーメンを食べて帰る。


グランパの山歩き

                   霊仙山(りょうぜんざん)(1084m)

1.1997年11月10日()

2.単独行

3.JR:名古屋―鮫ヶ井¥1280 湖国バス:鮫ヶ井―養鱒場¥250 

  JR:柏原―名古屋¥1110

4.地図:国土地理院1:25000霊仙山、彦根東部

5.ガイドブック:新・分県登山ガイド滋賀県の山

 名古屋駅で鮫ヶ井までの切符を買い、5番線ホームで待つ。やってきた快速は、通勤客が殆ど降りて空席が目立つ。庄内川を過ぎると、セイタカアワダチ草が目立つ。垂井から茶畑になった。

 9時45分、鮫ヶ井駅で降り、バスに乗って養鱒場に向かう。

001.JPG鮫ヶ井駅

宗谷川の渓流沿いの紅葉が鮮やかだった。15分で着き、歩き出す。舗装道路から林道になる。凛とした空気、谷あいに聞こえるセセラギの音、チッチッと鳴く鳥、風もないのに落ちる枯葉、道脇に咲く野菊。静寂な空間を味わう。そこに赤い車が通り過ぎて行った。しばらくしてその車から女性ハイカーが歩き出していた。追いついて挨拶する。「今日は休暇をとって行けるところまで行く。年に四回は、ここを登る」という。一足先に桧林の中を登っていく。カナヤに標識があった。

002.JPGカナヤ

 11時20分、2合目の汗ふき峠を通過。

003.JPG

 日を浴びた枯葉が生き返ったように光っていた。青空に紅葉の赤色が引き立っていた。

005.JPG

 さらに雑木林の中を登っていくと、見晴らしの良いところに出る。飛行機雲が東から西にでき、琵琶湖が霞んで見えた。

004.JPG

 一面笹原になった高原でパンを食べておく。

 13時、小さな鳥居のある霊仙神社を通る。雨乞い信仰の地だ。

007.JPG

 お虎ガ池は盆地の中にあり、琵琶湖の形をしていた。入り口に宮門と賽銭箱があり、ワンカップ日本酒と赤い実をつけた枝が徳利に挿してあった。身の丈ほどある笹が道を狭め、風が吹いてザワザワと音をたてていた。

006.JPG

   風受けし笹原の秋ザワワワワ

 13時20分、経塚山。バスで一緒だったハイカーがいた。屏風岩、漆滝経由で登ってきていた。

008.JPG

 リュックを置いて霊仙山に向う。途中、風穴があった。頂上は風が強い。

010.JPG霊仙山頂上

009.JPG

 枯れた菊が岩の間を埋めていた。岩にはり付く苔も生気がなかった。

 14時10分、柏原に向って降りる。赤い屋根の避難小屋には「思い出残してもゴミ残さないで」と書いた看板が立てかけてある。スカイラインコースと書いた漆滝への道と分かれ谷山に向って登り、8合目の標識から降りる。獣道のような枯葉で埋まった道を登り降りする。

013.JPG

 7合目で河内方面の道と分かれ、山腹を歩く。左手が開け、植林した山々が連なり、遠くに琵琶湖が見えた。

011.JPG

 登山道の標識の下に「野猿に注意」と書いてあった。自然の生態系を破壊したために野生の猿の居所が少なくなっているようだ。 ブルドーザーが遠くで動いていて人間の臭いを感じた。

 15時15分、4合目避難小屋は黄色のコンテナー箱で鍵がかかっていた。

012.JPG左、避難小屋

 再び樹林帯に入る。小鳥の鳴き声が聞こえた。杉林の中を降り、一段と大きな杉の木のある1合目の広場に出る。駅まで残り3.9キロ。水を飲み干して出発する。日が陰ると冷え込み、寂しくなる。水場でボトルに水を補給する。砂防ダムができていた。高さ14.5m、今年2月完成。先に豪華な道と橋があった。

 

        山降りて月出る道や足重く

 16時20分、ヤマハタ養鶏場の脇を通る。飼料の臭いが強烈だった。早足で過ぎる。名神高速道路の下を通る。ビュンビュンと車が上を走っている。トラックの音が地鳴りのようにすごかった。国道21号を渡る。ここ柏原宿は中山道六九宿の61番目で織田信長が泊まっていた成菩提院がある。定年前のオジサンが1人で切り盛りしていた。お寺は現在でも15ある。柏原駅に出る。

014.JPG柏原駅

 17時7分、電車に乗る。大垣で快速豊橋行きに乗り換え、名古屋駅に着いたのは、丁度18時だった。


グランパの山歩き

鈴鹿・御池岳(1247m)

1.1997年4月26日(土)

2.単独行

3.名古屋―西藤原(近鉄)¥1040

4.地図:国土地理院1:25000篠立、竜ヶ岳

5.ガイドブック:新・分県登山ガイド23三重県の山

 

 7時51分、近鉄名古屋駅を出発、8時20分、近鉄富田着。三岐鉄道のホームに行く。9時11分、新藤原行き出発。今日は土曜日、快晴。リュックを背負った人達が多い。途中、大安でグループが下車、宇賀渓谷に行く。

10時2分、終点。

001.JPG新藤原駅

ハイカーの大半が藤原岳に向う。トイレに行ってから歩き出す。白、黄色の花が野に咲き、春爛漫。養鮒場、浄水場の脇を通り、坂本谷入り口で登山届を書いて山道に入っていく。近くに車が十台駐車していた。堰止めに溜まった池の下には藻がくっきり見える。登りに入ると直ぐ滝に遭遇。蜂や蝿が顔にまといつく。山間を登っていくと、風の音と鳥の鳴き声だけになる。一息つこうとしたらアブがやってきて追い出される。

10時45分、上から初老ハイカーが降りてきた。

「お早いお帰りですね」

「いや、疲れました。お若い人は頑張って下さい」

確かに蒼白い。「お大事に」と言って別れる。やがてパーティを追い抜く。さっきの人の同行者達で「下で会いませんか」と心配していた。「キツそうでした」

鳥がチチ、チチン、チチーン、チチ、チチン、チチーンと鳴いている。真似てみるが、かなわない。縄張りに闖入してきた合図なのだろうが、どうだとばかり鳴きつづけている。冬眠から目覚め、水分を芽に送りつづけている木々や既に新芽を出して精一杯、日光を吸収している木々を見ていると清々しい気分になる。途中、一団が休憩していた。一息、呼吸を整えてから「お先に」と言って通る。

12時20分、白船峠。

 003.JPG白船峠

ハイカーがコッヘルを使って食事をしていた。大きなカメラを担いで初老ハイカーが滋賀の方から降りてきた。「カタクリの花がきれい」という。オニギリを食べてから、尾根を縦走。唐松林を歩いて20分、コグルミ谷への分岐点に出る

004.JPG

コグルミ沢まで車で来た夫婦が悠々と御池岳(丸山)を登ってきた。小憩後、山頂を目指す。途中、雪をナイフで切って、きれいな所を水筒に入れる。

007.JPG残雪

 俄然、笹林になり、長袖シャツを着て漕いでいく。

005.JPG

標識に従ってボタンブチに向う。ボタン(猪)を追い落とした狩場だったところ。笹原の先、滋賀県の山々が一望できた。

006.JPG御池岳・ボタンブチ

戻って、今度は鈴鹿山脈最高点を通り、池の平に出る。日本庭園で休憩。鈴北岳まで登ってみたかったが、体力の限界を感じてきたので戻る。コグルミ谷を降りていく。長命泉の水場で顔を洗い、水を補給していると、家族が降りてきた。白船峠で写真を撮ってあげた人達だった。藤原岳まで登ってきて、これからコグルミ谷に駐車した車で小牧に帰る。船原方面に行くというので、途中まで乗せていただくことにする。高校2年の息子の後を歩く。舗装道路に出る。

002.JPG御池岳登山口

朝日旅行会が大阪で募集したツァーバスがエンジンをかけて駐車していた。「花の名峰藤原岳登山ツァー」と書いてある。

足の方が疲れていたので車に乗せていただき、助かる。車は渓谷をジグザグに走って降りていく。麓の船原に着いたが、藤原まで送っていただく。テレカを息子に渡し、お礼を言って降りる。

17時26分、西藤原駅を出発。名古屋には19時30分に着いた。


グランパの山歩き

              雲母(きらら)(888m)鎌ヶ岳(1161m)

1.1999年5月7日(金)

2.単独行

3.名古屋―湯ノ山温泉

4.地図:国土地理院1:25000御在所山、伊船

 近鉄名古屋駅に行き、8時11分発、宇治山田行き急行に乗る。四日市で湯ノ山線に乗り換え9時20分、湯ノ山温泉駅で降りる。高校生達の中に中年ハイカーがいた。しかし雲母峰に登る人は居なかった。

 黒いビニールをかけた茶畑の中を歩き、金谷不動を右折していく。乗馬クラブを過ぎ、東海自然歩道に出る。小さな蝮がのびていた。舗装道路で日向ぼっこをしている時に車に轢かれたようだ。逆方向に歩いていた。気が付いたときは、かなり歩いていたので、そのまま歩き、林道を使って登って行く。見晴らしの良いところで眺めた以外、ひたすら登っていく。杉林の中で黒蛇を見つけ、ストックで叩こうとしたら岩の隙間に隠れてしまった。先に航空測量用標識が立っていた。

 11時40分、雲母峰登頂。別称、吉良々山。

019.JPG雲母峰頂上

 樹間から目指す鎌ヶ岳が見える。鈴鹿のマッターホルンだ。

021.JPG鎌ヶ岳

 岩鏡が咲いていた。

020.JPG岩鏡

 次は尾根伝いに歩く。この辺で滑り落ちたら大変なことになるので、慎重に歩く。冷や汗かきながら歩いていると石楠花の桃色の花が咲いていた。鴬が雑木林の中で鳴いている。

022.JPG石楠花や瓦礫伝いに風通る

 13時50分、岳峠に出る。手前に鎌ヶ岳の雄姿が見えた。一度降りていく。足元に蟻の道ができており、またいで通る。熊笹に隠れた道を登り返し、岩場を一気に登ってしまう。

023.JPG

 14時15分、鎌ヶ岳登頂。

024.JPG鎌ヶ岳頂上

 鈴鹿山脈が一望できた。中高年夫婦と中年ハイカーが居た。夫婦は、これから御在所も登ってみるという。眼下には、鈴鹿スカイラインの車道が見えた。

026.JPG

027.JPG御在所岳

 頂上一帯は新芽を出したばかりの樹木と熊笹だった。

025.JPG

 30分近く過ごしてから降りる。しばらくして急な瓦礫に出会い、そのまま降りてしまったら崖の上に出てしまう。道を間違えた。右手にストック、左手で木に捕まりながら降りていく。

028.JPG

 天気も良いし日没まで時間がある。地図によれば、いろんな道ができている。案の定、山道に出てホッとする。水を飲んでから慎重に降りていく。そのうち水場に出た。

029.JPG

 パイプから水が飲めるようにしてある。ポットに補給しておく。

 15時30分、ブナ林に入る。木漏れ日を浴び、下から渓流のセセラギが聞こえて気持ち良い。30分ほど過ぎて林道に出る。更に30分経って舗装道路に出る。温泉街に入ってバスに乗る。温泉駅に戻り電車に乗って帰る。車内は再び通学生で混んでいた。

        学生のあふれし車内立夏かな

 


グランパの山歩き

                      福智山(901m)

1.出発日:2000年3月23日(木)

2.単独行

3.交通手段:JR 博多―直方¥910 バス 直方―竜王峡¥260

4.地図:国土地理院1:25000徳力、金田

   昭文社:山と高原地図55・福岡の山々

6時半、福岡ニューオータニホテルを出たら博多行きのバスが信号待ちをしていた。左折したところにある停留所まで走って乗り込む。博多で若松行きの電車に乗る。

8時8分、直方で降りる。駅員に竜王峡行きバス乗り場を聞く。

nougatastation.JPG

教えてくれたのは、JR九州バス乗場の方だった。乗り場にMUNIBUSと書いたバスが来たので運転手に聞く。乗っていたオバサンが「それなら西鉄バス、あっち」と教えてくれる。駅の左手にあった。

バスには中年女性ハイカーがいて、終点まで一緒だった。八幡から来て、福智山に友人と登るという。終点で友人が待っていた。近くに住んでいて、福智山系を熟知している。早速、挨拶して一緒に登る。しばらくして後ろから声がする。さっきのバスの女性運転手が袋を持っていた。彼女の忘れ物だった。

最初、真中にいて登っていたが、先頭に立って歩く。30分経って、上着を脱ぐ。1時間で尾根まで登ってしまう。

200032301.JPG山瀬越

2人が「ここで休憩するからお先に。その脚力なら、このまま縦走する方がいい」と言う。助言に従い、福智山から九州自然歩道を通って石原町に出る予定を変更して縦走して採銅所駅に出ることにする。荒宿荘で一本立てる。

arayadosou.JPG荒宿荘

尾根伝いを歩くと強風に見舞われる。

          福智山春嵐襲い鳴動す

11時40分、福智山登頂。

fukuchiyama.JPG

まだ霜が降りていた。手がかじかんでいる。鱒淵貯水池が見えた。

200032302.JPG

日差しは春だが、風が強く冷たい。風のないところで昼食をとっておく。10m幅の防火線が尾根伝いに出来ていて、そこを登り降りする。

200032304.JPG

13時、「赤牟田の辻」の急登を登り終える。30分後、焼立山から降りる途中に「浅野宏二遭難の地」碑が立っていた。

200032305.JPG

お彼岸に訪れた者が花とビール「BRAU」を供えていた。きっと生前好きだったのだろうか。確かに、この辺は最も人里から離れているが身の引き締まる思いをする。冥福を祈って去る。

         新芽見し薄原に春目覚めたり

14時10分、牛斬山に登る。

200032306.JPG

南東に、山を一つ削ってしまっていた。

200032307.JPG香春岳

    香春(カワラ)岳石灰切り取り風光る

山を降りて行くと私道が交差してあり、先の方で人声がする。行って見ると杉の木の植林をしていた。採銅所への道を聞いて探したが、私道が等高線に沿って続いているだけで見つからない。うろうろしていたら、作業を終えた人達がリムジンバスに乗って、私の前で停まり「これから大分に帰るが、途中の駅まで乗せてあげる」という。ありがたい。皆さん、この時期は植林事業、秋になると防火線の草刈をする。勾金駅前で降ろしてもらう。

200032308.JPG

ここからは香春岳が近い。大正時代からセメント採掘が続いていた。

200032309.JPGさいとうしょ駅

16時18分、平成筑豊鉄道に乗って直方に行く。右手にずっと今まで歩いてきた尾根が見えていた。


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