グランパの山歩き
1.1999年12月20日(月)
2.単独行
3.交通手段:バス天神―大和證券前―極楽寺―障子岳
4.地図:国土地理院1:25000大宰府
昭文社・山と高原地図55福岡の山々
6時半、起床。北九州は昨日初雪、今日も雪か雨となる。
7時、福岡、西鉄グランドホテルを出発。バスに乗り、大和證券前で降りて日本銀行前に行く。そこで極楽寺行きに乗る。整理券は、乗り終わりドアが閉まると出てくる。通学、通勤客で混んでくる。対向車の屋根には雪が積もっていた。新屋敷停留所で中学生がどっと降り、障子岳で降りる。
8時45分、閑散とした車道を歩き、犬に吠えられたりしながら昭和公園の中を入っていく。雪が降り出した。公衆トイレに入って用を済ませてから三郡山への道を登っていく。
「三郡山まで40分」の標識を過ぎてから道が雪で被われ、追に見失ってしまう。地図と磁石を頼りに雪まみれの沢を登っていく。膝上まで雪に埋まりながら登っていくと、普段使わない筋肉を使ったせいか左足が吊ってくる。腕を使って木に捕まりながら尾根を目ざして登る。まだ時間があると思いつつ、雪山を一人登ると気がはってくる。
新雪や踏みしめし音山響く
12時半、雪に埋まった登山道に出る。磁石で確認し、頭巾山に着く。900mの標識が立っていた。誰も通っていない雪道に足を踏みしめていくとT字路に出る。左は三郡山だが、雪雲に被われていたので迷わず宝満山に向う。初めて人に会う。氷ついた難所ヶ滝を見に行く。
雪に残っている動物の足跡は一直線のキツネと二列に並んだイタチだった。
別れてから直ぐ、仏頂山に達する。宝満山開祖心蓮上の墓祠に雪が積もっていた。モミ林を通り、花崗岩の岩場や奇岩の間を歩いて、宝満山に着く。
一段上がったところに社殿が建ち、脇に大きな岩があった。
遠望もなく寒いので、早々に降りる。今度は自然石の階段が続く。石碑や僧坊跡、鳥居を通っていくが、立ち止まらずにストックを使って一気に降りる。竜門神社を過ぎ、九州自然歩道を歩き、天満宮に寄っていく。神社の上に宝満山が見えた。修験の山であることを体感できた。
グランパの山歩き
2001年8月1日(水)
NHKドラマ「ちゅらさん」を観てからホテルを出て、天神に向って歩く。街路樹にいる蝉がウァンウァン鳴き、ビルとビルの間に響いていた。「水を大切に」と書いた青い旗を車から降ろしていた。これだけ暑さが続くと渇水になることは目に見えている。
8時、岩田屋の角を左折、13番ゲートを探したが見つからない。近くのビルに入って聞いたが、拉致が明かない。もう一度ゲートに戻って探す。10番ゲートに13番桧原(ヒバル)営業所行きが書いてあった。暑さと、ホッとしたことで冷や汗と共に顔に汗が吹き出た。13分、定刻にバスがやって来る。
途中、市立美術館を通っていく。ビル工事中の道壁に宮沢賢治の詩が書いてあった。30分後、油山に着く。7イレブンで飲み物を買って店員に聞いてから歩く。快晴、油山の峰々が良く見えるので、ガイドブックとは異なるが近づいていく。工場の従業員が外の道の草取りをしていた。「油山市民の森」に行く道を確認する。炎天下、夫婦岩病院やゴルフ場、浄水場の脇を通っていく。市民の森の入り口では、車が来ると料金をとっていた。定年過ぎの人がのんびり働いていて、案内図をくれる。
更に車道を歩いていくと事務所行きの山道があった。登っていく。途中、清流が流れている。タオルを浸して汗をぬぐう。冷たくて気持ち良い。駐車場の脇を登って事務所に着く。途中、オニヤンマが悠然と飛んでいた。ベンディングマシーンで冷茶を補給してから登る。オリエンテーリングの中を通っていく。後ろから水のペットボトルを手にして登山靴を履いた男がやって来た。
「散歩ですか」
「いや、頂上まで」
ちょうど良かった。後をついていく。吊り橋を渡り、県木の森を通っていく。各県の名前を書いた立て札に木が立っていた。彼は階段を避けて登っていく。小屋に来て、頂上の標識もあったので一休みする。森の中には、様々の生き物が生息していた。小さな蜥蜴、蛇、クワガタ、蛙、それに黄アゲハ、青筋アゲハ、黒アゲハが時々やってくる。日差しがないので登りやすい。茸を見つける。
尾根に出てポットだけ持った中年男を追い抜く。頂上から降りてきたオッサンに挨拶すると、「今日は、やけに人が多い」。
10時40分、山頂。
6人居た。その内、4人は麓から来ていた。眼下に福岡の市街、タワービルや遊園地の円形観覧車が見える。
しかし他は木々に覆われていた。
オニギリを食べて一服する。蚊が襲ってきた。虫除け剤を塗って応戦する。
11時、下山。今度は尾根を伝って国見岩を通る。ここは、黒田公が城下の配置を眺めたところだ。尾根の道も長年の雨で抉られていた。40分後、妙見岩に達する。
北辰妙見大菩薩が祀られていた。干ばつの時に焚火をたき、太鼓を叩いて雨乞いをした場所でもある。大きな岩と反対のところに見事な茸が生えていた。
ここから油山観音の方に降りていく。杉林になり、蜩蝉が多くなる。足元から飛び出したり、帽子に止まってみたが、動くので飛んでいってしまう。小さな蛙がピョンピョン逃げていく。凹型の道なので、しまいに止まってしまう。摘み上げ、しばらく降りてから置き放す。
12時過ぎ、2人の烈士自刃の立て札があった。右に降りて広場に出る。昭和20年8月20日、割腹自刃した。1人は長島秀男中佐。航空魚雷研究の第1人者で行年39歳。1人は寺尾博之で行年25歳。ここだけ異空間だった。
知らぬ間に蚊に刺されていた。5分後、浄土宗第二祖、鎮西上人の碑が立っていた。
ここには学寮があった。そのまま降りて車道に出る。炎天下だった。
右に降りて博多工業高校の前を通り、街に出る。酒を売っているコンビニで缶ビールを買って外に出る。ちょうど、西鉄バスが止まっていた。博多駅行きと書いてある。前の出口に立ち、運転手に天神を経由することを確認して乗り込む。12時45分だった。
グランパの山歩き
1.2012年7月18日(水)
2.単独
3.交通機関:西武池袋―芦ヶ久保¥680
4.地図:国土地理院1:25000正丸峠、安戸、皆野、秩父
昭文社・山と高原地図22奥武蔵、秩父
5.ガイドブック:新・分県登山ガイド 埼玉県の山
梅雨明けが宣言され、本格的な登山用に買った靴を履きならすため、山に行くことにした。
5時起床。コンビニに寄ってオニギリ、玄米アンパン、お茶を買って山手線に乗車。池袋で降りて西武池袋に行くと、丁度、飯能行が出たところだった。乗客の出入りが激しいのかホームにはベンチがない。立って食べる。
6時4分発、飯能行の準急西武池袋線に乗車。56分後、飯能で向かい側の西武秩父線秩父行きに乗り換える。
7時14分、出発。次の駅、東飯能で乗客の多くが降りていく。JR八高線に接続していた。高麗駅から山間に入り、高麗川に沿って走る。森林の中、小さなスペースに畑と家がある。単線なので2回、上り線の電車を待つ。正丸トンネルでは中で交差する。
8時、芦ヶ久保駅。ホームから正座している観音像が見えた。
改札口を出てトイレに行っておく。階段を降りて国道299号を渡り、歩道を右に歩く。トラックが盛んに行き来する。道端や家の前に咲く花を観る。オシロイバナや始めて見る花があった。
犬を連れているお母さんがいたので、道を確認。「山には熊がいます」と言われる。確かに国道と分かれた舗装道の脇に熊宛ての看板が立っていた。
「あなたの住んでいる地域に、人が音を出しながら立ち入りますので襲わないでください」
標識に従って歩いていくと登山口(標高350m)に出る。
8時30分、シャツを脱いで杉林の中の道を歩く。足元の草は未だ露に濡れていた。足の細長い蜘蛛を踏まないように歩く。お地蔵さんや、雨除けに良い穴があった。
幾つかの沢を超える時はヒンヤリして気持ち良い。ジグザグに登って尾根に取りつく。
9時50分、大野峠(880m)。
一息入れて丸山に向かう。蝉が鳴く前の発生練習をしていた。視界が開けたところから堂平山が見える。
電波塔下のT字路を左にとる。山桜、楢、楓、栗といった広葉樹なので明るい。オカトラノオが咲いていた。
梅雨明けの森に入れば鳥騒ぐ
木段を避けて登っていくと、展望台が見えた。その前に三角点があり、頂上になる。コンクリートの頑丈な建物は1980年、埼玉の日本宝くじ協会が寄贈していた。
階段を上がって眺める。武甲山が一望できた。
赤城山などは雲がかかって見えない。街では枯れてきた紫陽花が、ここでは満開だった。
持ってきたストックを伸ばして降りる。T字路に出る。右が展示館、左が芦ヶ久保。
左をとって降りる。更に曇ってきた。2回舗装道を横切る。
一帯の森は、埼玉県トラック協会が整備している。カラスアゲハが飛んでいた。
車の跡がある急坂を降りていくと、今まで人や車を見かけなかったが、青年2人組、間をおいて中年男2人組に会う。頂上までの情報を伝えて別れる。鳥居を通過、分岐点で日向山方面の道をとって降りて行く。
舗装道に出る。直射日光を受けながら歩いていくと「山の花道」の案内板があった。
炎天の山を下り来て喉渇く花道を標高差60m降りて沢に出る。
リュックを置いて橋のたもとを降りて水に頭を浸ける。タオルも浸けて顔にあてる。ベンチで休むと蚊が襲ってきたので、戻る。木の子茶屋の反対側にも水場があった。しばし頭を浸ける。少し降りた所に日向山への登山口があった。駅へのルートが森の中にあり、降りていく。ここも案内が出ているので問題ない。
帰りの電車は1時間に2本。10分前にホームに入り、誰もいないのでTシャツを脱いで長袖シャツだけ着、半ズボンになる。
13時14分、各駅電車が着た。5分早い。ドアが開いた後、定刻になるまでドアを閉めて冷房が効くようにしていた。西吾野駅では、鈍行と特急が通過するのを待つ。
13時58分、飯能着。別のホームに行き、渋谷行き急行に乗る。出発まで1両の内、一か所だけドアを開けて冷房を効かせていた。
14時9分、出発。練馬で降りて、同じホームで待っている池袋行きに乗って帰る。東京は32度を超えていた。
グランパの山歩き
埼玉県2座の山旅
城峰山(1038m)熊倉山(1427m)
1.2010年7月19日(月) 晴
2.単独
3.経費:高速料金(首都高速、外環、関越自動車道)¥2610
大滝温泉¥600
4.地図:城峯山:国土地理院1:25000鬼石
熊倉山:国土地理院1:25000秩父、三峰
新・分県登山ガイド⑩埼玉県の山
5時35分、出発。滝野川ICから首都高速5号に入り、外環、関越自動車道を走行。
6時45分、花園ICで降りて国道140を走る。カーナビが皆野寄居バイパスを指示、
310円払って皆野に出る。県道を走ったが、コンビニが見つからないので国道に戻ってオニギリと菓子パンを買って県道284を走行。
「満願の湯」の先に札所34の水潜寺があり、秩父華厳の滝の入口を通る。滝行の錬成会道場があった。高度を上げていくと見晴らしの良いところに出て、武甲山が良く見える。
西立沢から狭い道を登っていき、城峰神社との分岐点を右にとる。
8時45分、石間峠。軽自動車が1台に停まっており、後ろに駐車する。一応、ストックを持って杉林の中を登っていくと鶯が鳴いていた。ツガの林になってひと登りすると、電波塔が見えて5分で頂上についてしまう。一等三角点があった。
電波塔の階段を上がって四方を展望。ぼんやりと赤城山が見え、雲取山と右下に妙法ヶ岳が見えた。このルートは、関東ふれあいの道であった。
ここは戦国時代、山全体が物見の山であり、麓には平将門の伝説が残っている。山頂付近に将門の弟将平の城跡があったことから山名がついた。若い連中は神社に向かったが、カメラマン一人残る。
9時15分、車に戻り、オニギリを食べながらお茶を飲む。峠には小屋とトイレがあった。10分後、西秩父林道を降りて行く。カーナビには映らない道が続いた後、石間から県道363、上吉田で37号へ右折して走る。両神山への道が続いていた。国道140に出て少し戻って右折、秩父鉄道を越えて谷津川渓谷を遡っていく。登山口の先に駐車。
10時15分、高度430mから出発。「熊出没注意」の看板が出ていたので、笛を時々吹くことにする。渓流には子ども達が水遊びをしていた。
木橋を渡ってジグザグに登っていく。杉林の中でシニアのハイカーに会う。この先はテリカンになるという。
11時5分、稜線に出ると、目指す山が見えた。
檜の幼木に鹿除けの網をかぶせている。炎天下の登りなので30分後に一本立てて水を補給。木陰には大きな茸が生え、コアオハナムグリらしき虫がいた。
11時55分、営林所小屋跡に入ってオニギリを食べる。
引き続き登る。久しぶりの急登と暑さで足が吊そうだったが、落ち着いてきた。高度千メートルを越えると、かいた汗がひんやりとして来た。
13時15分、高根で一休み。後は一気に登る。
30分後、登頂。パンと紅茶をとる。青年が別ルートからやって来た。2回、ルートを間違い、戻ってきた。
14時15分、下山。40分後、小屋跡。15分後、障子岩沢の小さな流れに戻った。頭を冷やし、水をたっぷり補給する。10分後、雨が降ってきたのでレインウェアを着こんで降りる。雨は直ぐ止んだので、小屋でウェアを脱ぐ。高度が下がると汗が噴き出てきた。
16時25分、車に戻る。
近くの谷津川館で風呂に入ろうとしたが、千円かかるのでやめて、大滝温泉に行き、汗を流し、生ビールを飲んでザルソバを食べて一休みしてから国道140号をゆっくり走って花園ICから高速に入る。未だ混んでいるので高坂SAに入って時間をつぶし、21時過ぎに出る。帰りは練馬から一般道を走っていく。
22時20分、帰宅。