グランパの山歩き
山梨百名山:権現山・倉岳山の旅
1.2014年6月3日~4日
2.同行者:I
3.交通手段:I車(三菱アウトランダ-PHEV)
4.総費用:¥13000
権現山(1311.9m)
1.ガイドブック:新・分県登山ガイド⑭山梨県の山(山と渓谷社)
2.地図:①山と高原地図27高尾・陣馬
②国土地理院2万5000図:上野原
2014年6月3日(火)晴
浅川バス停(700m)9:45→10:25浅川峠(867m)10:35→12:00権現山12:30→13:25浅川峠13:35→14:10浅川バス停
日本300名山を良く同行したIからの誘いで3年振りに同行する。お互い古希を過ぎており、傘寿まで低山を登るという目標を立て、その最初の山行となった。
待ち合わせ場所を地下鉄南北線2番出口、交差点を渡った所としていた。指定の南北線に乗り、6時48分に着く。7時になると上智大学のチャペルが鳴る。この時間、子供を四谷駅まで車で送る母親がいる。しばらく待ってから彼の携帯にかけると、四谷見附北交差点の方で待っていた。新宿通りに出て初台から首都高速に入る。反対車線は通勤の車で渋滞。我々は順調に走行、8時過ぎに大月を降りる。国道20号に入って町の中のコンビニに寄って食料を調達。カーナビを浅川中心部にセットして走行。猿橋から葛野川を遡る。浅川入口を右折すると、一車線の道が多くなる。運よく道幅の広いところで対向車と擦れ違い、バスの終点まで行く。途中、「日本大月社」と書いた宣伝車が停まっていた。終点の広場に停められないので、反対側のスペースにする。
Iが靴を履きかえている間に、近くにいるお婆さんのところに行って、地図に載っている神社のことを尋ねる。「それなら、あっちだべ」と指差してくれたが、余り関係がないようだった。畑ではジャガイモやモロコシを栽培していた。やがて爺さんも現れ、「どうだべ、住んでみたら」。限界集落だった。近くで鶯が鳴いている。
9時45分、高度605mから「浅川峠」の標識に従って出発。5分後、駐車スペースに八王子ナンバーの車が停まっていた。しばらく歩くと、「車両通行止」の看板とチェーンがはってある。
その先に崩壊箇所があった。未だ通れる。
林道終点にも標識があり、登山道になる。杉林の中を大きくジグザグに登って行く。生き物は蟻だけ、我々だけが進んでいく。10時25分、浅川峠。
休憩後、大きな山体の権現山に向かう。足元には座禅草や、どんぐりから芽を伸ばしていた。
尾根を歩くと風を感じて気持ち良い。左手の桧林の木は全てテープで巻きつけている。
虫よけだろうか。
やがて広葉樹林だけになる。前方に2人の女性が登っていた。八王子ナンバーの人で、あきる野市からだった。先に行く。足元には、ドングリから伸びた木に双葉を出していた。緑一杯の自然林に山ツツジが彩りを添え、黒アゲハが舞う。シャッターチャンスを追ったが、諦める。葉に赤く縁取りされたヤシオツツジの木を見つける。
11時35分、休憩していたら、今度は2人が先に行く。稜線に出る。
右に登って頂上に立つ。八王子組と写真を撮り合う。
他に年輩女性組が来ていた。南北に視界が開け、周りは山ツツジが咲いている。
北には三頭山がぼんやりと見え、夏雲が出来ていた。富士山は雲のなかだった。
木陰で食べる。食後、八王子組と話す。1人は子どもを学校に送って、終わる頃までに戻る。それまで山歩きをしていた。これまでいろんな山に行っているようだ。二人静の花が咲いていたことを教えてくれる。もう1人の女性は、ヤマレコに投稿していた。
彼女達が降りてから、ゆっくり降りる。20分後、二人静を見つける。細長い花穂に米粒のような白い花を連ねている。花穂が1本、2本、3本とあった。
福島県飯舘村で見た一人静の花を思い出す。浅川峠の手前ではウツギの花が咲いていた。
峠で休憩。ここから扇山を往復しても良かったが、Iには興味なかった。明日も山を登るので降りて行く。ガクアジサイが咲きだしていた。登山道から広場に出たところで、周りの山が見える。お2人を遠くから撮り、先に林道を歩いて戻る。
14時10分、Iが靴を履きかえている間に、バスを待つ年輩者と話す。事業主で、東京から来て扇山を登っていた。他にもいろいろと登っている。既に登っていた権現山を教えてもらう。木の間にちょっとだけ見えていた。
Iが同乗を誘ったが、バスが間もなく来るし、他に用事があるからと言われ、別れる。カーナビに宿泊先をセットして出発。途中、大型バスと擦れ違う。
国道20号を左折、梁川町に入って桂川を渡り、民宿「やまみち」に行く。
15時、明朝の登山口を確認しに行く。くねくねと走り、唐桑橋を渡って登山口に出る。2.5キロあった。
駐車する場所を唐桑橋の近くのスペースにする。帰りに網を持った中年男に会う。東京から蝶採集に来ていた。民宿の駐車場に戻り、軽自動車用のスペースの隣りに停める。明日、登る山が見えていた。
「やまみち」の女将に案内されて2階の7畳の部屋に入る。Iが用意した焼酎を飲みながら、私が持って来た摘みを食べる。テレビがつかなかった。節電のためと言うが、予約客であるのに、事前に準備していない。
17時、入浴。夕食は30分遅れると言う。他に1人、宿泊者がいた。
18時過ぎ、テレビを見に食堂に行く。山梨テレビはローカル色が出ていて面白い。ゴミ収集活動で活躍している野口健が仲介してエベレストと富士山が姉妹山になった。ビールを飲みながら食べる。同宿者は鮎釣りに来ていた。明朝は務めに東京に帰る。
食後、Iが精算を済ませてくれる。テレビを見ながら雑談。3年振りなので話しが弾む。彼は夫人と豪華客船クルーズを楽しんでいた。阪急交通によるもので、イギリス・サウサンプトンからベルギー・オランダを行く旅で味をしめ、西地中海、東地中海、カリブ海と続く。21時、就寝。
倉岳山(990.1m)
1.ガイドブック:新・分県登山ガイド⑭山梨県の山(山と渓谷社)
2.地図:①山と高原地図27高尾・陣馬
②国土地理院2万5000図:上野原
6月4日(水)晴
唐桑橋(380m)6:30→7:55水場(720m)8:00→8:15立野峠(800m)8:25→9:05倉岳山9:30→10:00立野峠→11:20唐桑橋
5時半、起床。洗面を済ませ、オニギリ弁当を食べる。小型ペットボトル入りお茶がついていた。窓から、近くの畑で農作業をしている人が見える。排便を済ませて出発。車のガラスには露が覆っていてワイパーで拭きとって出発。15分後、駐車。Iが登山靴に履きかえる間、周囲を歩く。ミミズやゲジゲジのような節足動物が動き、野イチゴが草むらに、唐桑橋の先には藤の花に似た花を咲かせていた。
6時半、登山口に向かい、整備された道を登っていく。ウグイスが鳴いていた。大木に蔦が上へ上へと蔦っていく。
杉や桧の恩賜林の中、月夜根沢を遡って行く。針葉樹は6月から8月にかけて最もフィトンチッドを発散する。歩きながら話す。話題はIが浦安地域の勉強会で聞いた元機長の飛行機の話になる。参加する人は年配者が多く、やっかみ半分の質問が出ていた。
日があたらないので羊歯が多い。足元に雨蛙がいた。セセラギの音が気持ち良い。途絶えた水も再び現れる。水場にやって来た。ここの水は煮沸しないと飲めなかった。2本の管が沢の水を集めるようにしている。
近くに小屋があったような石組みが残っていた。広葉樹になった森の中をジグザグに登っていく。静謐な空間だった。
緑陰や赤いリュックの後を行く
自然の森は100キロヘルツよりもはるかに高い周波数を出しているのに、人間の聴覚は20キロヘルツ以内の音しか聞けないことを思い出す。高周波が脳幹を刺激して脳内物質を活性化させてくれている。中でもドーパミンが快感をもたらしてくれる。森のある低山歩きはシニアに向いている。立野峠に出た。
オニギリを1つ食べていたら、30代の男が登って来て一緒に座る。既に倉岳山は登っていて、今回は細野山の方の稜線を歩いて寺下峠から梁川駅に戻ると言う。
10分後、頂上に向かう。2回アップアンドダウン。ここにもフタリシズカが足元に、山ツツジがまばらに咲いていた。
最後は急登。視界が開けて標識に辿りつく。
ここでも富士山には出会えなかったが、反対側で麓の桂川が見えた。
小鳥が囀るのを聞きながら、アンパンを食べ、コーヒーを飲む。キツツキの叩く音が聴こえた。
9時半、下山。ストックを使いながら慎重に下る。陽が差し出した。立野峠から水場に行くと初老夫婦に会う。東京からで、人に会うと思っていなかった。帰り道となると、周りを見ながら歩ける。小さな滝や橋を撮っていく。単独の男にも会う。
11時20分、登山口から車に戻ると、無数の小さな蝶が日向ぼっこをしていた。
駅までの道と反対なので、下着も着替えてしまう。唐桑橋の近くに、5月下旬から現れるミスジチョウが留まっていた。
20分後、出発。国道20号に出て右折、前にオバちゃんが三輪スクーターを運転、時速40km以下なので後ろに何台も従えていく。
上野原ICから中央高速に入る。
12時35分、石川SAで昼食、今回の精算を済ませる。トイレに寄ると、植物を壁にかけていた。
13時過ぎ、出発。新宿ICで降りて新宿通りを走行。
13時45分、待ち合わせ場所で車を降りて別れる。東京は翌日から梅雨に入った。
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